読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

「音楽に政治を持ち込むな」

音楽政治を持ち込むな」というフレーズがネット上で話題になったのも、だいぶ昔に感じます。一応冒頭で言っておきますが、

僕は右でも左でもないので、政治の込み入った話をしたい方はこの記事を読まれてもあまり得るものはないでしょう。純粋に「音楽に政治を持ち込むな」という議論について正しいと思うことを言及しています。

 

そもそもこの問題は、フジロックにジャーナリストの津田大介氏(津田さんに関しては2016年より以前からフジロックのアトミックカフェにて出演していたので、個人的には今更かよって感じですが笑)やSEALDsの奥田氏が出演することで起こりました。

 

結論から言えば「音楽に政治を持ち込むな」という批判はおかしいと僕は思います。特にロックフェスなら尚更おかしい。ロックが生まれてからこれまでの歴史を追っている人間なら、むしろ政治とロック(音楽)は切り離すのは難しいと感じるのではないでしょうか。

 

僕の政治的思想はアジカンの後藤氏とは相入れませんが、「フジロックのこと知らない人が言っているんじゃないか」という意見としては一致しています。以下リンク

http://m.huffpost.com/jp/entry/10583848

だいたいフジロックは政治(SEALDs)を持ち込んで炎上しているのに、No Nukesは何故炎上しなかったのかよくわからないんですけどね。以下リンク

http://nonukes2015.jp/

フジロックに政治を持ち込む」ことがいかに不可避であるかを、これから順を追って考察していきます。

 

 

 

僕の主張は大まかに2点あります。

まず1点目、歌詞で政治について言及している、または政治姿勢を表明しているロックバンドが存在し、実際フジロックのステージに立っています。

例を挙げるなら、RadioheadRage Against The MachineColdplay

 

上記の3つのバンドは、フジロックのメインステージであるグリーンステージでトリを飾るほどのビッグネームですよね。ちょっと音楽をかじった程度の人でも、もしかしたらご存知かもしれない。一応グーグルでの検索を貼っておきます。以下リンク

Radiohead

https://www.google.co.jp/search?rlz=1CDGOYI_enJP706JP706&hl=ja&ei=OKM2WN7kI4OM8wW25qOwCw&q=Radiohead&oq=Radiohead&gs_l=mobile-gws-serp.3..0l5.50232.53195.0.53936.11.10.0.1.1.0.209.1271.1j8j1.10.0....0...1c.1.64.mobile-gws-serp..6.5.584.3..41j0i131k1j0i4k1.Y29JNBEbf9U

 

Rage Against the Machine https://www.google.co.jp/search?rlz=1CDGOYI_enJP706JP706&hl=ja&ei=faE2WOOQHsiU0gTu8IioBg&q=rage+against+the+machine&oq=Rage&gs_l=mobile-gws-serp.1.0.41j0i131k1l4.295353.299573.0.300497.4.3.0.1.1.0.163.389.0j3.3.0....0...1c..64.mobile-gws-serp..0.4.404.3..0j0i4k1.GTcR767oKKo

 

Coldplay

https://www.google.co.jp/search?rlz=1CDGOYI_enJP706JP706&hl=ja&ei=faE2WOOQHsiU0gTu8IioBg&q=coldplay&oq=Cold&gs_l=mobile-gws-serp.1.1.41l2j0l2j0i131k1.1378.12860.0.13745.6.4.0.2.2.0.171.478.2j2.4.0....0...1c..64.mobile-gws-serp..0.6.502.3..0i4k1.B6561GFoWrc

ここで言いたいのは、フジロック出演者であるアーティストがそもそも音楽に政治を持ち込んでいるのに、それをどうやって排除するのかってことなんですよ。「音楽に政治を持ち込んでいるバンドは出演させない」とか「アーティストは政治姿勢を示させない」って極端な考え方でしか排除する方法を思いつきません。

 

それどころかほんの少し手広く音楽のアンテナを立ててみてください。どこかで政治と音楽の関わりは出てきます。つい先日行われたアメリカ大統領選挙で、トランプ次期大統領を非難していたアーティストは何人もいました。これは世の中に自分の政治姿勢を示したことになりますよね。彼等には今後一切フェスに出る権利も音楽をやる権利もないんでしょうか。おかしな話です。

 

仮に、アトミックカフェでのトークショーで政治を持ち込むことにだけ言及していたとしても、これもおかしいと思います。ハッキリ言えば、フジロックの目玉はアーティストによる演奏ですよね。その1番の目玉に政治を持ち込むことは容認して、サブポジションであるアトミックカフェでのトークショーに政治を持ち込むことは否定するんでしょうか。アーティストの演奏を樹木の幹、アトミックカフェを枝葉として例えましょう。幹を肯定して、枝葉は否定するなら、幹も否定したらいいんじゃないですか。基準に一貫性がなく、矛盾というか違和感を感じます。僕にはよくわかりません。

 

フジロックの歴史から言えば、反戦」「脱原発みたいな左寄りの政治思想と言うのはいつの間にか存在していました。だから、アトミックカフェは数年来続いているんではないでしょうか(議論されている内容が正しいとか間違っているとかは置いておいて)。

 

というか、音楽、特にロックに関しては「反体制」「反政府」「無政府主義」みたいな考えは無視できるものではありません。反戦を音楽に初めてThe Beatlesが持ち込んだのか、Bob Dylanが持ち込んだのか、誰が持ち込んだのかはわかりませんが、いつの間にかロックにおける左寄りの思想は大きくなりました。80年代のUKパンクシーンは顕著ではないでしょうか。

 

日本でも60年代に反戦をテーマにフォークミュージックが流行しました。経緯としてはベトナム戦争でアメリカの風潮からの影響のようです。

1点目のまとめとしては、音楽は政治と切り離せない性質があるってことです。

 

 

 

2点目は、社会に対する主義、主張は「政治」の要素を含むか含まないかを判断する線引きが音楽に限らず難しい。画一的な判断基準がないため政治を排除できない。

抽象的なため、具体的に説明します。

例えば、「平和」という言葉を聞いて、真っ先に「反戦」や「兵器を廃棄」や「軍隊根絶」などと政治を結び付けて連想する人と逆に全くしない人、両方いるんじゃないでしょうか。最小限の同じ言葉を投げ掛けても受け取る人次第で、連想もふくめて言葉の持つイメージは変わります。

ということは、社会に対する主義、主張にはどこまでを政治の要素があるか判断するかが明確ではないんですよ。だから、音楽から政治を完璧に排除するのはきっと無理でしょう。

 

 

 

終わりに、この「音楽に政治を持ち込むな」という一連の流れは、根本的に音楽と政治の関係性を知らない人達が言い始めたんじゃないでしょうか。もしくは、平和な現代の日本で政治のことを歌詞にしないポップスやアニソンしか聴かない、誰かから政治を押し付けられることに嫌悪を抱いている人達が「フジロックにSEALDs(最近ネットで叩かれている政治的な象徴をする人物が)出演??気持ち悪い」みたいなこと感じたんじゃないでしょうか。

 

個人的にはフジロックでグリーンとホワイトとレッド以外は行くことないんですよ。アトミックカフェの方までわざわざ行って、トークショーをわざわざ聞くきっかけも時間もないんで、関係ないと言えば関係ないんです。ステージ間もフジロックは特に広いから、気に食わないと思えば、トークショーでの会話なんて聞かなくてすむんですね。グリーンとホワイトとレッドくらいしか行かないような人はアトミックカフェでどんな話をしていようが関係ない状態を作れます。仮にトークショーをやっている近くを通らなければならなくても、タイムテーブルさえちゃんと確認していれば回避できるんじゃないでしょうか。今後フジロック行きたいけど、政治がどうのこうのって方は参考にしてください。基本的に不愉快に思うことはまあ少ないんじゃないでしょうかね。

 

話を戻して。僕は、音楽と政治を切り離すのは今更不可能だと思います。また、政治的な強い姿勢を持ち、それが音楽活動において本質的な意味があるアーティストに政治を歌うことを制限したら、存在が形骸化してしまいますしね。何のために彼等は音楽活動をしているのか目的が見失われます。

最後にもう一度、僕は右でも左でもないので、込み入った政治の議論をされたい方は他を当たってください。

フジロック2016 ライブレポート@3日目

3日目はExplosions In The SkyとBattlesについてライブレポートします。RHCPは疲労がピークで寝てました笑

 

 

まずExplosions In The Sky(以下EITSと略します)について。

彼等を一言で言えば、轟音系ポストロックバンドです。もうちょっと説明すると、同系統のバンドであるMogwaiほど暗くない音階で心を鷲掴みにされるようなエモーショナルなメロディーとサウンドの3本のギター、鼓笛隊のような軽やかなスネアを中心としたフレーズのドラムが印象的です。比較的新しい作品は、キーボードや打ち込みを取り入れているようですね(個人的にはこの方向性は好きではありませんが)。静と動を意識した楽曲が多いと思います。どうでもいいですけど、曲のタイトルも長いものが多いです。

 

EITSのライブの1番の魅力は音の迫力です。彼等はインストゥルメンタルなので、やはりそこにこだわりを持っているようです。ライブ直前のサウンドチェックも本人が直々に行っていました(この件については、スタッフを雇うお金がないという理由でないことを祈っています笑)。

f:id:may-kshr:20160726123358j:image

音の迫力と言ってしまうと、大音量にだけ重きを置いていると勘違いされるかもしれませんが、決してそんなことはありません。前述通り、‘静と動’ですので、音量を絞っている場面では演奏している彼等の息遣いまで伝わってくるような細やかな演奏となっています。ここまで書いてしまえばあえて言うことはないでしょうが、当然出音が良かったわけです。

f:id:may-kshr:20160726124247j:imagef:id:may-kshr:20160726124354j:image

ライブでの定番曲でもあるThe Only Moment We Were Aloneは一聴の価値有り。

https://youtu.be/nzj-ksNOMfU

 

 

 次にBattlesについて。

彼等を一言で言えば、変テコ(変テクと言っても可)サウンドの踊れるマスロックバンドです。まず、マスロックとは音数が多くて変拍子を多用するロックです。現Gt兼Keyパートのイアンウィリアムスが在籍していたDon Caballeroはその代表格。

https://youtu.be/mTCc9p7bO64

一般的にマスロックはプログレッシブロックかポストロックと呼ばれるシーンにカテゴライズされることが多いでしょう(「すぐそうやってジャンルの名前ばかり出すな」とか言うな!!)。

次に、変テコって言葉を説明するならば、ポップ実験的な音が入っているため、そういう風に解釈してもらえるとありがたいです。1stアルバム時に在籍していたVoのタイヨンダイブラクストンが特に音の選び方に遊び心があったと思います。2nd、3rdとアルバムが出た現在もたしかに変な音はしていますが、方向性や音の選び方はストイックというか真面目になりました。

 

Battlesのライブの最大の特色はアドリブを含めたエフェクトのセンステクニックだと言えるでしょう。ループステーションを使ってフレーズを何重にもしつつ、変拍子を正確に刻むのは曲を進行させるだけでも大変です。それに加えて打ち込みに合わせて演奏するのだからすごいのです。

 

 

 

3日間を通してのベストアクトはJames Blakeでした。

フジロック2016 ライブレポート@2日目

特に良かったBeckKula Shakerについて書きます。2つとも90年代に登場したものなので僕の得意分野ですし、ずっとようやくライブを観れたというのが本当に嬉しかった。(Wilcoもカッコ良かったけど語れるほど知らないので書きません。Squarepusherはあまりベースを弾いてくれなかったので書きません笑)

 

 

まずはBeckについて。

彼のことを一言で説明するならアルバムごとに幾らでも色を変えられるカメレオンミュージシャンって感じですかね。デビューシングルのLoserが入った1stアルバムはブルースの色が強いですし、出世作のOdelayはいろんなジャンルの音楽を何でもごちゃ混ぜにしたようなアルバムですし、Sea ChangeやMorning Phaseの2つのアルバムはドリーミーフォーク(ドリームポップ的な空間を意識させるフワフワした音のメロディーとフォークミュージックの融合)です。

 

あともう1つ彼について簡単に説明するならば、あまりロックスターらしくないってことです。僕のこの意見は否定的な意味で捉えないでほしいです。上記のMorning Phaseというアルバムはグラミー賞を受賞したんですが、グラミー賞授賞式にてカニエウエストが「このアルバムがグラミー賞をとるのは不当だ!」といちゃもんをつけてきたんです。こういう場面って一歩間違えば、一触触発ですよね?じゃあ、Beckはどうしたか?自分が悪いと謝ったんですよ。ただただ優れた作品を作っただけのBeckは何一つ悪くないとは思うんですが笑

他にもThe Flaming Lipsのフロントマン、ウェンコインにも「お前はロックスターじゃない」と言及された時もそれを素直に認めたBeck。彼はビッグマウスで気が強いようなザ・ロックスターみたいな存在ではないと思うんです。僕は彼のそういう少し弱くて人の良いところが好きです。ロックスターというよりも、エンターテイナーという方が自然な気がします。

最後に、Beck天才気質であると思うんです。楽曲の随所に見られるセンスだとか、アルバムのアートワークや過去に撮られた写真のカッコ良さなんかはあえて言う必要もないでしょう。前回出演したフジロック2005では、ステージ上でいきなりご飯を食べだし、食べ終わったらその食器を楽器として使ったなんてエピソードもあるんですね。こういう常人がやらないような行動のセンスは惹かれますよね。

 

 

話を戻します。

ライブの総評を言うなら本当に楽しいライブでした!!!…と、まあさすがにこの一言では終われませんよね笑(つか、写真を撮っていたんですけどブレすぎてて使い物になりませんでした!)

セトリに関しては各アルバムの曲をまんべんなくやっていましたし、またライブアレンジを結構していたので、ある程度真面目にBeckのことを知ろうとしていない人には恐らくピンと来なかったんじゃないでしょうか?ライブアレンジが最も顕著だった楽曲は、原曲では電子音がバシバシに入っているのにも関わらず、それを生音のバンドサウンドで表現していたって感じです。全体的に楽しく踊れるギターロックというような内容でした。

逆にストリングス主体で原曲のアレンジをしていたものは、二本の歪んだギターで表現していた場面もありました。このアレンジも◎。

またどこかで彼のライブを観たいものです。

 

 

次にKula Shakerについて。

彼等は90年代後半にブリットポップのシーンに現れました。ブリットポップ自体はジャンルとして確立していたというより、どちらかというと一種のムーヴメントだと思います。OasisBlurThe Verve、どれをとっても別々の音楽ですよね。

Kula Shakerラーガロックと呼ばれるインド音楽とロックの融合を計ったジャンルになります。バンド名もインドの歴史上の王様の名前から来ています。古くはThe Beatlesが活動していた時に、中期辺りで取り入れてたことで有名です。近年ではTemplesというイギリスのバンドがロックシーンに現れました。サイケデリックな印象をよく受けます。Kula ShakerThe Beatlesに比べると、ファンキーな楽曲が多いですよね。彼等の1stアルバムのKは90年代を代表する名盤の1つでしょう。

 

 

Kula Shakerのライブの総評としては、やっぱり1stアルバムの曲は最高だな…って感じでした。303やTattvaやHush(これはアルバムに収録されてないけど)はロックから興味が無くなってきている今でさえ、やっぱり忘れられない楽曲です。Kula Shakerは思い出補正が強いから余計に評価しているかもしれませんね笑

ちなみに、アンコールは2回やって、1回目はGovinda。アウトロでのアレンジは秀逸でした。Kula Shakerは個々の演奏が好きなんでアドリブ要素が多いと嬉しいんです。2回目はHey Dude。(この曲やらないんか、残念だ…)と思っていたところで、まさかのアンコールに次ぐアンコール。会場の一体感(この言葉はきらいなんですが)が凄かったです。

単独ライブも行ってしまいそうだな…Kの再現ライブだしな…

フジロック2016 ライブレポート@1日目

James Blakeの名演についてだけ書きます。これ以外ほとんど覚えてないくらい1日目は良かったです。

 

2000年代後半にポスト・ダブステップの代表格としてデビューした奇才、天才。ご存知、James Blake。憂いを含んだメロディーが印象的な、彼の1stアルバムに当時出会った僕は多大な衝撃を受けたのを未だによく覚えています。音楽の進歩はもはや停滞してしまったと思っていたので、本当に先鋭的に、また前衛的に感じました。自分より一つ上の年齢が作ったと知った時はこの人には勝てないと思いました笑

 

以前、なんばHatchにて彼の単独ライブを観たのですが、その時の印象は予定通り良いライブ程度でした。

しかしながら、今回フジのグリーンステージでのアクトは出来が全く違いました(もしかしたら、スピーカーのスペックや天然要塞的なあれでグリーンステージだから出来たことなのかもしれないんですがね)。f:id:may-kshr:20160723155458j:image

 

まあ出音に関してはまあ御察しの通り、最高でした。

今回の彼のステージで特に感じたのは、一音一音ずつ、またフレーズ単位で緻密に計算された音の集合体であること。ドラムは少し例外ではあるとは思うんですが、キーボードとギターと打ち込みの所謂ウワモノパートはフレーズごとに切り取るならば単体では成り立たないような意味があるのかないのかわからない変な音に過ぎないにも関わらず、それが合わさることで生まれる印象はとても大きかったです。一寸の狂いもない完成された建築美に圧倒されたって感じですかね。貫かれました、これは忘れられないライブになることでしょう、きっと。何故こんなバランスで曲が作れるのかは疑問ですが笑

3rdアルバムの曲をそこまで予習していなかったんですが、結構リズムが良い意味でシンプルに作られていてこれはこれで良かったですな。

最後の曲のWhihelm Scream

https://youtu.be/MVgEaDemxjc

のラスト1分くらいからの優しいノイズの襲撃は、自分が息を引き取る時に流れていてほしいです。天にも昇るというかそういう高尚な感じではなく、アンニュイな感情と屈折した人生を経て得た達観が伴って静かに心臓のBPMが停止するみたいな(自分でも少し何言っているかわかんないけど、伝われ!)。

 

シガーロスはやっぱり四人の方が良いです

GrimesやSt.Vincentの現状での最新作の評価がおかしい

Grimesの2016年1月の来日ライブを観た感想を簡潔に言うならば、


クソだった
 
今更わざわざ取り上げる必要もハッキリ言ってないような気もするけど、いろいろおかしいと思うので言っちゃおう!
 
 
Grimesのキャリアをアルバムごとにざっくりとまとめるならば、
1枚目と2枚目は『地味』とか『実験的』とか『なんかちょっと変な女の子が音楽やっている』みたいな印象だった。
3枚目は、1枚目と2枚目の良い意味で彼女の少し変わった部分を踏まえて作られた良質なポップアルバムだったんじゃないかな。僕はこのアルバムが結局彼女のキャリア史上1番好きだ。
4枚目、現状での最新作Art Angelsはクソ。彼女がこれまで積み上げて来たものを自身で全部ぶっ潰したみたいな駄作だと思うんですよね〜。ただただ大衆に媚びたポップアルバム。中身がスッカラカンダンスアルバム。いくつもの海外メディアで年間ベストをとるようなアルバムでは決してない。断じてない。
つまり、言いたいのはこういうことなんだ。
 
クセのあるアーティストが直球を投げて来た時にメディアが過剰に評価し過ぎだ
 
ここがおかしい。本当におかしい。後述するけど、同じように感じたのはSt.Vincent。
 
 
話を戻そう。1月の来日ライブでのセトリをアルバムごとで割合をあらわすなら、
 
1枚目0%
2枚目0%
3枚目15〜20%
4枚目80〜85%
 
って感じ。彼女の中ではもう1枚目と2枚目は無かったことになっているんでしょうかね?この辺りには少し憤りを感じた。
 
あと、ステージのセットや衣装やダンサーにやたら金をかけていた(St.Vincentもこの点は同じ)。まずはライブでの出音に金をかけたら良いのに。こういう部分って女性的観点なんでしょうか?よくわからん。
 
極め付けは「彼女は世界一のシンガーよ」と言って、キーボード兼コーラスのサポートメンバーに1人で一曲丸々歌わせる。ハッキリ言ってしまえば何がしたいのかよくわかりません。サポメンの曲なんか興味ないよ。
 
まあ、1つだけGrimesに関してフォローをするなら、もともと歌姫とか好きだったから彼女が本来したかったのはこういうポップなステージングなのかな…?いや、なんか目から熱い涙が…
 
 
はい、次にSt.Vincentについて。
僕は過去に2012年サマソニと2014年フジロックと2015年ホステスクラブウィークエンダーで観たことあるんだ。
サマソニで彼女のステージを初めて観た時の印象は、『ギターが上手な女の人がバロックポップしている』とか『観客にダイブして意外とロックしている』とかそんな感じ。事実、最前列の客にダイブしてた笑。サマソニでは3枚目のアルバムかつ、恐らくキャリア史上1番良いアルバムの『Strange Mercy』までしか発表していなかった。
 
その2年後のフジロック(2015年ホステスもまとめても内容的には大して問題ないが)に関して一言で言及するならば、
 
拍子抜け
 
が正しいだろう。ステージと衣装に恐らく金をかけ、曲は安直なダンスロックに…。その時、4枚目のセルフタイトルアルバム『St.Vincent』を聴いていなかったため、ライブを観ていた僕は(あれ…?St.Vincentってこんなんだっけ…?)状態だったと思う。
 
まあ、ここまでは許せるんだ。
問題はグラミー賞オルタナティブ部門をとってしまったことだ。率直に言えば、4枚目は実験性が明らかに停滞した完璧なる駄作で、彼女は良い意味でヘンテコなバロックポップサウンドを捨てるのが早過ぎたと思うね。
 
 
 
GrimesとSt.Vincentは積み上げてきたキャリアこそ違えど、同じような売れ方をしたっていうのが今回言いたかったんだ。
 
そして、結論!
 
安直なダンス(ロック)アレンジを禁止してほしい
 
 
 
あとがき
 
そろそろURLのリンクや写真なんかも載せたい(面倒臭いけど)
 

やれやれ…下らない冗談を燃料にして走る車があれば月まで行けそうだ

勘のいい人はタイトルから察するだろう。
今回、記念すべき第一回目に取り上げるテーマは村上春樹について。
断っておくが、僕は恐らく熱心なハルキストではない。これまで村上春樹の小説で読み返したものはノルウェイの森神の子どもたちはみな踊るくらいだ。
しかし、その代わりと言ってはなんだが、村上春樹の世界のファクター(この横文字はよく出てくるよな笑)とバックグラウンドを追ってみた。


まず、そもそも村上春樹の小説は一体どういった内容なのか?
ネットでよく見かけるテンプレは、
『“人付き合いが苦手。家事全般が何故か得意。シャツにアイロンをかけるほど几帳面。ウイスキーをはじめとする酒類を好む。貞操観念が欠けている。小綺麗で体臭のしない。”ようなどこか浮世離れした主人公が、サンドウィッチやドーナツを食べ、熱いお湯で髭を剃り、屈折した人生をこれまで送りどこか達観したような女性とセックスしているうちに、世界を覆う闇と対峙する』
といったようなものだ。しかしながら、これは平面的かつ表面的なストーリーの流れであって、村上春樹の意図やメタファーは作中であまり多くは語られない。読者が読み解かなければならない部分が本質だろう。村上春樹曰く、『(作中の)超常現象こそがメタファー』だそう。
また、多くの作品の中で、実在しない生き物が数多く出てくるのも特徴の一つ。小人であったり、巨大なかえるであったり、羊男であったり、この世のねじを巻く鳥であったり…。
以上のことを踏まえると、ファンタジー小説や謎を解き明かす推理小説に何の疑いもなくカテゴライズされるのに僕は違和感を感じる。もちろんファクターとして小説内には存在していることはたしかだが、村上春樹自身が掲げる信条や哲学はもっと別の場所にあるのではないか?どちらかというと、ドストエフスキーフランツ・カフカの方が近い存在であると思う。言い換えれば、現代の娯楽小説というより文学に近い。
と同時に、読者がどれだけ村上春樹の作品の本質を読み解いているのか疑問に思う(僕自身は恥ずかしながらネットの検索で引っかかる考察を読んで『なるほどな…』と思うタイプである)。

次に、村上春樹の文体について考察する。
彼の文体は英語の文章を直訳したものに似ている。『日本語の奥ゆかしさが〜』『日本文学が〜』みたいな少し固い頭の読者からすると、恐らく受け入れがたいのだろう。実際のところ、村上春樹自身は一度自分の作品を英語で書き、その後日本語に訳すというプロセスで仕上げているらしい。まるで最初から英訳されるのに備えていて、世界を視野に入れた戦略だと僕は思う。『日本語の奥ゆかしさ』というのは英語にされた時に上手に表現されないのなら、はじめから英語にされた時に活きてくる文章を書く方が合理的だ。『日本語の奥ゆかしさ』を追求することと同じくらい『世界で評価される』作品を作るのも重要である。僕は彼のその点を評価したい。もっと個人的なところまで踏み込むのならば、言葉や文章は時代とともに変化変容するものであり、そもそもその流れを誰も止めることができないのならば、むしろ『日本語的な表現』などと固執するのではなく、ある程度は許容する姿勢であるべきだ。あえて見解を狭める必要はない。
また、村上春樹曰く、『文章は平易で、内容が難解なもの』を追求しているようで、意図して自分の作品に対する敷居を低く設定しているようである。この点も僕は功績として評価したい。

そして、彼が影響を受けた作家について。この項目は一番恐らく僕が力を入れた箇所であるが、恥ずかしながら全てをまだ把握できていないのである。現時点での考察として考えていただければありがたい。
まず、顕著に現れていると感じるのは描写の細かさや丁寧さ。これはドストエフスキーの作品を読んだ時に感じるものと酷似している気がする。ここまで描写が細かいと非常に親切だと感じる。
次に、度々文中に滲み出てくるユーモア。これはトルーマン・カポーティよりも、J・Dサリンジャーの影響だろうか。ナインストーリーズライ麦畑でつかまえてフラニーとゾーイーを一通り読んだが、もっともサリンジャーのユーモアの方が過度で僕には肌に合わなかった(ライ麦畑でつかまえてに関してはそれでも名作だと感じたが…)。
そして、村上作品の中で多くを占めるミステリー要素。これはレイモンド・チャンドラーの影響だろう。しかしながら、チャンドラーとの相違点は謎を解決しきらず、読者の解釈に任せることだろう。
また、作中で度々取り上げられる男女の情事について。これは、スコット・F・フェツジェラルドだろう。村上作品で多くの場合男女の仲が結局のところハッピーエンドで終わることが少ないのは、フェツジェラルドのグレート・ギャッツビーの影響かもしれない。
村上春樹に影響を与えた作家ではなく、事件について取り上げるという意味ではほとんど余談になるが、この話も村上作品を構成する上で重要だと思うので触れておきたい。)このブログを読んでいる方々は、オウム真理教が引き起こした地下鉄サリン事件を覚えているだろうか。この事件が契機で、村上春樹は作品内の中で善悪について取り扱う(少なくとも長編小説では漏れなく)こととなった。冒頭で触れた通り、世界を覆う闇と主人公が対峙しているのは一つのテーマとなっているのかもしれない。恐らくそれだけ衝撃的な事件だったのだろう。

最後に、村上春樹の総評をしたい。
日本では珍しく、世界的な作家の一人ではある。が、そこまで評価されていいのかというのは彼の作品を読み始めた時から疑問に思っている。簡潔に言えば、一般受けするような内容では決してない。僕個人は彼の作品を結構好きだし、『好きな人は好きだよね』程度ならわかる。ハルキストによくある『村上春樹を好きなオレはセンスある』とか『知的な自分を演出』みたいなステータスが行動原理なんじゃないか…。
メタファーをよく作品に用いるのは、音楽で言えばRadioheadだったり、映画で言えばデヴィッド・リンチだったり、アニメで言えば幾原邦彦だったり、非常に芸術性は高いと感じるけど、決して万民受けはしない内容だと思う。そういう中でRadiohead村上春樹は特に知名度は高いのとステータスとして好む人は特に多いような共通性があるんじゃないか。『じゃあ、お前はどうなんだ?』って疑問を当然抱くだろうけど、僕も強くは否定できない笑(最終的に村上春樹の総評というよりファンへの言及になったけど、まあいいや笑)


今回の村上春樹への言及はいかがだっただろうか?もしかしたら、僕の解釈が全て正しいとは思えない人も多くいたのかもしれない。
読者の方々が少しでも村上春樹本人、またはその作品に興味を持ってもらえたら幸いだ。おすすめは海辺のカフカ